ANA国内線【PR】

無いからって死ぬわけじゃないけど、人の暮らしになくてはならないもの。エンタテイメントって何なんだろう?
by appletom
XML | ATOM

skin by excite
ココロのポジションを表現する
"ココロのベストポジション"のところで、「ココロのポジショニングマップ」を考え始めたのだけれど、さていざココロの状態を表現しようとすると、、、

、、、いろいろな言葉があるね。
喜怒哀楽、喜ぶ、怒る、哀しむ、楽しむ。行動的に、笑う、怒鳴る、泣く。気持ち的に、いらいらする、そわそわする、どきどきする、ふわふわする、わくわくする。胸が躍る、胸が痛む、胸を突く、胸がふくらむ、落ち込む、浮き足立つ。
ココロのポジショニングを捉えようとしても、人のココロを表現する言葉は数限りないくらいありそうで、またいろんな側面からココロを表現していたり、あるいは重なり合うような表現をすることもあったり。、、、続きを読む
# by appletom | 2004-11-10 00:51 | 欲求
写真を外に持ち出そう!、、、?
以前に、(アップルが作った)iPodの真の商品コアを、"パソコンとiPodを使って音楽を外へ持ち出すための環境"だろう、といった。

最近iPod Photoという商品が新しく発表されたのだけれど、これって「写真を外へ持ちだそう」というモノなのか?

アップルは今回戦略的に過ちを犯した気がしてならないのだけれど、そう考えるひとつめの理由はこれ、、、続きを読む
# by appletom | 2004-11-03 01:38 | エンタテイメント商品
「おもしろい」は特別なものとして考える
価値は何か、商品コアは何か、と考えているけれど、「ふつうそんな難しいことなんか考えてない。なんかおもしろいことないかなあっていろいろ探してるだけじゃないの?」という気もしてくる。
自分も「もしや、そんなことかも、、、」と自信をなくすことがあるけれど、、、、続きを読む
# by appletom | 2004-11-03 00:40 | 欲求
ココロのバランスをとること、そして崩すこと
ココロのバランスをとるために対極の感情を求め、一方でココロのバランスを崩すために「わくわく感」を求める。
そんな矛盾した欲求が基になって、人はエンタテイメントを求めているらしい。

だけどホントにこれは矛盾しているのだろうか?
次の段階へ進歩するためには、一度混沌とした状態にかきまぜる必要があり、
ということを"わくわく感。"のところで書いたけど、このときは「進歩」のためにかきまぜる必要があるとしていた。

これ、ココロを動かすためにも必要なんじゃないだろうか、そう考えてみた。

つまり、ココロのバランスをとるために対極の感情を求めるわけだけれど、、、、続きを読む
# by appletom | 2004-11-01 21:42 | 欲求
エンタテイメントの作用点はココロ
エンタテイメントとは「体験する」ものであるというのはほぼ間違いないだろう。そして、"エンタテイメント商品はモノではなくココロを売っている"というのもほぼ当たっていると思うのだけど、もう少しここのところを整理してみたい。

"エンタテイメントは体験するもの"の最後に、「商品コア」と「顧客価値」を結ぶパイプとして"体験”があると書いた。
エンタメ商品の価値を人が得るためには体験することが必要だ、ってことなのだけど、、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-31 16:35 | エンタテイメント商品
パッケージによって変わるエンタメ体験
"エンタテイメントを体験する環境"によってエンタメ商品を分けることができると思っているのだけれど、では、ユーザーからみたときにはどのような違いがあるか。
ひとつめの分類基準、(参考:"エンタテイメント商品の分類:体験のしかた")
・体験するためにどのくらい特別な道具が必要か
というものと関連しつつ少し見る角度が違うのだけれど、パッケージのされ方によってエンタメ体験がどう変わってくるか考えてみたい。、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-30 22:25 | エンタテイメント商品
ココロのベストポジション
ココロのバランスをとるってどういうことか。
おもしろさを求めるときはどんなとき?
笑いたいと思うのはどういうとき?
泣きたいと思うのはどういうときなの?

前に"おもしろいは、欲求?"のところで、
「おもしろい」を求めるのは、人の欲求のなかで安定した生活をおくるための最も根源的な欲求
といったのだけれど、その根拠は"精神のバランスをとる"ために人はいろいろな感情を求めるという考え方であり、精神のバランスをとるということを人間は本能的に求めている、と考えた。、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-29 01:13 | 欲求
物語を楽しむということ
エンタテイメントの重要な要素に「物語(ストーリー)」がある。
これはコアコンテンツのひとつであり、「浸る」という顧客価値の源泉となるものだと以前に整理した。
参照:"コアコンテンツ"

物語はどんなエンタテイメントにも関連付けることができるし、
また、何かをユーザーに受け入れられやすくするために使われることも多いだろうね。
その例で、最近ではメーカーが商品プロモ用に作る純粋なキャラクターにさえも、その背景となる物語が付け加えられることが必須になってきている。、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-28 00:25 | 欲求
習熟度のレベルでココロが変わる
前回:"習熟度のレベル分け"の続き、、、

同じミステリー小説を読んだとしても、ジェットコースターの例と同じように、その読み手の習熟度によって感じ方は変わるだろう、というのが前回の話だった。
どのように変わるかというと、レベルの低い段階の人は、シンプルに直感的にココロが反応するのに対して、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-27 00:41 | エンタテイメント商品
習熟度のレベル分け
「通だねえ」とか「通好みの、、、」とか、いろんな世界に"通"がいる。
その道に通じた人ということだけど、ある範疇に入る物事をよく知っていたりたくさん経験していたりして、よく知っているがゆえに普通の人とは少し違う好みを持っていたり。、、、続きを読む

# by appletom | 2004-10-25 21:40 | エンタテイメント商品
習熟していくとエンタテイメントは、、、
"エンタテイメント体験の習熟度"のところで例に出したジェットコースター。例えば浅草の花やしきのジェットコースター。最初に乗ったときは、あの民家の横をすり抜けるところとか、チープなわりに楽しめた。とはいえ当然、さすがに3回乗ったら飽きた。スペースマウンテンでさえ繰り返し乗ったら飽きてしまう。
このように、もちろん同じものに何回も乗ると、わくわく感は無くなり、飽きてくる。

ここで、いろいろな所で何回もジェットコースターに乗っている人(Aさん)と生まれて初めてジェットコースターに乗る人(Bさん)をイメージしてほしいのだけど、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-24 19:56 | エンタテイメント商品
体験の習熟度
何かを体験したときのココロの動き、反応。

野球でビッチャーの投げた速球に反応して打つように、あるいはサッカーでサイドからのクロスに反応してボレーシュートを打つように、何かが起こったときにそれに対して反応するということを、うまくやるには相当の習熟が必要だと思う。
そして、全く反応できないところから徐々に習熟していって、より高いレベルで反応できるようになっていく。高いレベルに到達すると、初めたばかりのころに苦労したことが全く簡単なことのように感じる。

体験するものであるエンタテイメントでも、同じようなことが起こっているのではないかと考えているのだけど。つまりエンタテイメントについて習熟度という視点をもつことができるのではないか、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-24 01:42 | エンタテイメント商品
エンタテイメントは体験するもの
"DVDは演出。モノではなく"のところで、
エンタテイメント商品の必要条件としての要素。それはモノではなくココロを売るものであるということ。(ココロを売るという表現はちょっとうまくないけれど、、、)


と言ってみたり、それ以外では、これまで所々で、”体験”という言葉を使ってたりしてますが、そんなに違和感ないですよね。
実は、どうやら、エンタテイメントの重要な要素として「体験するものである」と言って(言い切って)良いのじゃないかと思い始めているのです。

これまで、例えば、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-22 02:30 | エンタテイメント商品
わくわく感。
エンタテイメントには「わくわく感」がつきもの。

これを説明しようとすれば、次に何が起こるのかということに積極的な期待をもっている状態、っていう表現になるかと思う。この感覚が生じないエンタテイメントも探せばあるのかも知れないが、少しイメージしてみるだけで、ほとんどのエンタテイメントに「わくわく感」が伴っているようだと気付くと思う。
言い換えれば、「わくわく感」があるということはエンタテイメントであることの必要条件。「わくわく感」がないとエンタテイメントとはいえない。。。今の段階では言い過ぎかも。
少なくとも、エンタテイメントと「わくわく感」は密接につながりがある、とは言って良いのではないか。

さて、冒頭でも触れたけれど、「わくわく感」を説明すべく次のように定義してみる。
、、、(お手数ですが、続きはこちらで読んでください。)
# by appletom | 2004-10-20 00:39 | 欲求
欲求の強さ
前に"おもしろいは、欲求?"のところで、
「おもしろい」を求めるのは、人の欲求のなかで安定した生活をおくるための最も根源的な欲求だと位置づけることができるということ。
根源的な欲求であるから、多くの人が、強く求める欲求であるといえる。


と書いた。

欲求の分類を、
1.)「ちゃんと生活していく欲求」
2.)「いっしょに生活していく欲求」
3.)「自分らしく生活していく欲求」
4.)「前のめりに生活していく欲求」
としていて、"おもしろい"を「ちゃんと生活していく欲求」と捉えたものなのだけれど、この欲求の分類は欲求の強さとも関係性があると考えている。
そもそも、人は1.)から4.)に向けて上のレベルの欲求を求めていくものというマズローの考えがベースになっているのだけれど、、、、(お手数ですが、続きはこちらで読んでください。)
# by appletom | 2004-10-19 03:39 | 欲求
エンタテイメント商品の分類:体験のしかた
エンタテイメント商品を分類する基準として、前に書いたことが難しすぎたので(自分でも直感的に覚えられなかったのです)、ちょっと柔らかく明確にしてみたいと思います。、、、続きを読む
# by appletom | 2004-10-18 02:22 | エンタテイメント商品
サイトのカスタマイズ
ちょっと本筋と離れて、立ち上げた独自ブログサイトの話題ばかり続いてますが、、、

やっぱり手をつけてしまいました。サイトのカスタマイズ。。。
とはいっても、こんな良いサイト(HINAGATA)を見つけたので簡単だったのです。
(このくらいじゃないとできません)
さらにタイトルのところに写真を貼付けたり、、、ちょっとやり過ぎですかね?
まあ連休が台風のせいで暇になったのでよしとしましょう。

よかったらちょっと見て感想でもいただければうれしいです。
http://blog.fun-tom.net/entertainment/
# by appletom | 2004-10-11 03:13
独自サイトの立ち上げ
いままで借りもののブログサイトで活動していたのだけれど、
何の拍子か、独自ドメインの取得〜レンタルサーバー使用〜ブログサイトの立ち上げ、、、といっきにここまで来てしまいました。
まあ自分のためでもあるけど、どなたかの参考になるかもと思い、
一連のお世話になったサイトをまとめてみます。

・独自ドメイン取得〜レンタルサーバー
これはもう価格(コストパフォーマンス)で決めました。本当に信じられないくらい安い。
安いのでいろいろな便利ツールみたいなものが他に比べて少なく、その分苦労したと思うけれど勉強になりました。(時間をたっぷり消費したけれど)
でもやっていくうちに分かったけれど、便利さは無いものの機能はちゃんと備えているし、全体的なシステムもしっかりとして使いやすく、選んで大正解だったのではと思っています。
独自ドメイン取得サイト:
バリュードメイン
(突き放した感じのサイトですが、だんだん頼もしく思えてきました)
レンタルサーバーサイト:
XREA
(ここに直接行かずに、バリュードメインから流れてきた方が後々便利です)

・ブログサイト作成
ブログ作成ソフトはMovable Typeしか知らなかったので、とりあえずこれを導入。ココログの裏で動いているのと姉妹みたいで、作ってしまえば運用は慣れたものの感じでした。
インストールは結構苦労しましたが。。。
Movable typeのサイト
(個人使用なら規約を守れば制限は若干あるものの無料です)

導入のとき役立ったサイト:
次の二つのサイトを参考にしながら導入をしました。
Movable Type 3.x 導入手順
(Movable Typeの導入フローが整理されてます)
otsune J-Blog
(XREAサーバーへの導入時の注意点がまとめられています)

その他Help等を見ながら試行錯誤しましたが、
なんとか今のところうまくいっているようです。
この場を借りて(伝わる可能性は低いけど)お礼を申し上げます。
ありがとうございました。

あとはカスタマイズしたいけれど、、、
うーん難しそうなのでどうしようかと悩んだりしてます。
(手を出すとはまりそうなので)
# by appletom | 2004-10-10 18:43
独自ブログを開設。
独自ドメインを取得してみました。
で、調子にのってレンタルサーバーも借りて、
さらに調子にのってMovable typeを導入、独自ブログを開設してしまいました。
けっこう苦労しながら時間もかかりましたが、おもしろかったです。
この体験も機会があれば書いてみます。

今後はこちらに集約していくかもしれないですので、よろしくお願いします。

ただ、過去記事を全てひとつひとつ移していきたいので、
しばらくは昔の記事ばかりになってしまいますが、、、
# by appletom | 2004-10-10 00:07 | 雑文
エンタテイメント商品の階層は?
商品コア-パッケージ(形態)-付加条件
というように商品(プロダクト)を3層構造に分けて捉える考え方がある。

、、、こういう思考フレームっていうのは、何かを具体的に考えていくときにもれをなくすという点において有用なものだと思うので知っていて損は無い。使いこなすためには何度も繰り返し実際に使ってみることが大事。

さて、冒頭のフレームは、モノ作りをして売ってみようとするときに、全体的にどういうやり方をとれば良いか考えるために有効なもの(だろう)と思う。
でも、エンタテイメント商品の範疇でこれはそのまま鵜呑みにして有用なものとはならないのではないかというのが今回のテーマ。
エンタメ商品をつくるためには、もう少し違う捉え方がありそうな。。。

ちょっと視点を合わせたいので補足すると、
例えば単純に映画のDVDを作って売りたいならばこのフレームで十分かも知れません。
つまり、発想のベースとして、すでに映画がある状態からのスタート。
その映画を特典映像を一緒にしてDVDにおさめて、パッケージのデザインを考え、初回購入特典なんかも用意して、、、(さらにその先には、価格をいくらにして、コンビニで売ろうか書店で売ろうかなどと考え、どんな雑誌に広告を出そうか考えて、、、と続くわけですが)
しかし今考えようと思っているのは、そもそも映画をつくるところから。そういうところからエンタテイメント商品をつくるということについて考えたいと思っている。。。そうするとちょっと違う考え方をしなくちゃいけないのではないだろうか、っていうことです。

で、今のアイデアとしては、
(0)商品コア
(1)コンテンツ(コアコンテンツ+非コアコンテンツ)
(2)ソフト的パッケージ
(3)ハード的パッケージ
(4)付加条件
という分け方。
そして、通説では商品(プロダクト)の構造とは分けて整理されているプレイス(場所)について、エンタテイメント商品を考えるときにはここに含めるべきではないかというのが今思っていること。
つまり、
(0)商品コア
(1)コンテンツ(コアコンテンツ+非コアコンテンツ)
(2)ソフト的パッケージ
(3)ハード的パッケージ
(4)体験(消費)場所
(5)付加条件
というように階層化するのがエンタメ商品においては有効なのではないか。そう考えています。

ここで、商品コアとコンテンツは以前にも触れたので割愛して、(2)と(3)のパッケージの分類について補足すると、
例えば小説の単行本だったら、
文章、文体、文字の数、挿絵、これをソフト的パッケージとして捉え、
活字、文字組み、ページ数、あるいは紙質も、そして本の大きさ(版形)、装丁などをハード的パッケージとします。
映画で考えると、とても要素が多いので書ききれないですが、
ソフト的パッケージは、
脚本、演出、配役、サウンドトラック(の使い方)、など。アニメだったら絵の基本デザインなどがここに含まれる。
ハード的パッケージは、
劇場公開映画だったらの場合は(4)に統合されるかたちか。
パッケージ旅行商品では、
例えばドラマのロケ地を巡る旅というパッケージ旅行だったら、そこに出演した役者が来る設定などがソフト的なパッケージ。どこのエアラインで行くかとかホテルはどこかなどがハード的パッケージなのか。

まあまだ確定できてはいないのだけれど、エンタメ商品をつくろうとしたときの商品を考えるフレームとして、それなりに使えるのではないかなあと思っているのですが、、、どうでしょうか?
# by appletom | 2004-10-03 19:18 | エンタテイメント商品
iPodを例に商品コアと演出(補完的価値)を考える
iPodというヒット商品がある(あらためて言うのも変だけど)。
この商品は「道具」でありエンタテイメント商品とは言えないかもしれないが、
アップルという会社(iPodの発売元)のモノ作りの姿勢は「ユーザーに体験を売る」という姿勢が強いという点で、とてもエンタメ商品を作る発想に似ているように思っている。
そんなiPodに関してちょっと良いレビューを見つけたのでご紹介しつつ、、、
「iPod」と「iPod mini」はなぜヒットしたのか?―そして、わたしのライフスタイルを変えた
という、iPodがなぜここまでヒットしたのかというテーマでの商品レピューなのだけれど、商品コアとは何かを理解するためにかなり参考になると思います。

この記事の2ページめに、
アップルは「iPodというハードディスクを使ったポータブルオーディオプレーヤー」を作ったのではなく、「パソコンとiPodを使って音楽を外へ持ち出すための環境」を作ったのである。

と書かれている。これがまさに「商品コア」なのだろう、と。

この記事の中でも書かれているし、よく見かけるiPodの紹介記事などには、
デザインが良い
操作性が良い
何千曲も持ち歩ける
などという言葉が並ぶ。もちろんこれら全てがiPodという商品を見たときの大きな価値であることは間違いない。しかしながらやはり補完的な価値と位置づけられるものだと思う。だから競合メーカーがいくらこれらの点でiPodより優れたものを発売したとしても、肝心の商品コアが弱ければ勝てはしないのではないか。

言い方を変えると、これら補完的な価値は
商品コアをユーザーに届けるためのモノ作り上の演出
なのであり、
よく言うプロダクトの階層構造のなかで「パッケージ」および「付加条件」に分類されるものである
と言っても良いかもしれない。

一方で、ただしそうはいっても、iPodにおいてこれらの付加条件が優れていなければ、ここまでのヒット商品にはならなかったともかなりの確信を持って言える。
アップルは
(1.)確固たる優れた商品コアをもち、
(2.)それを補完する付加条件にも高い価値を付け、
(3.)商品コアと付加条件を高いレベルで融合した
そういう商品作りに成功した。
(1.)が無ければ商品としての価値はないのだけれど、ユーザーが「買おう」と思うのは(2.)の部分に引きつけられるからであることが多い。
ときにユーザーは(前述のその他の紹介記事のように)(2.)の部分をその商品の価値であるという錯覚をしながら「買おう」と思う。ユーザーは本当の(商品コアとしての)価値に気づかないまま買う決断をして、買った後に使いながら(1.)の本当の価値を体験する。
なぜそんな錯覚をしてしまうか。それは(1.)の価値は体験しないと分からないものであると同時に(3.)の部分が優れているから。

ここで、エンタメ商品と近いモノつくりがなされた(と思う)iPodの例から、エンタメ商品をつくるときに押さえておくべき「エンタメ商品の特徴」をまとめてみる。

エンタメ商品において、
・ユーザーが商品コアを認識できるのは、それを経験したときであることが多い。つまり経験前に商品コアを知ることは難しい。
・ユーザーがその商品に関心を示すのは、目に見えたり言葉で表現しやすい分かりやすい特徴によることが多い。そしてそれらの特徴は、商品から見ると補完的価値であることが多い。その意味でも補完的価値はヒットのためには重要。
・ヒットする商品は、(商品コアを認識しなくても)補完的価値だけで十分満足できるレベルに達していて、一見何が本当の価値なのかわからないくらいにうまく価値が総合的に融合されている(結晶化)。

そして、結果としてこういうことが起こるように思う、すなわち。
・ヒット商品のユーザーのなかには、補完的価値を自分にとっての商品価値と思いそれで満足する人たちが生まれてくる。
、、、補足。
「自分にとっての商品価値」という言葉は否定する意図で使ったわけではなく、純粋に、ユーザーによっては本来の(あるいは作り手の意思としての)商品コアとは異なるものを商品コア的な価値と捉えることがあるという意味です。
# by appletom | 2004-10-02 13:00 | エンタテイメント商品
一方で「ショーシャンクの空に」は
「ムーランルージュ」は「演出」が商品コアだという捉え方に対して、
では「ショーシャンクの空に」をどう捉えるか。
こちらについては、前々回、
、、、映画全体を経験した後に自分のこころに残る感覚がすばらしい映画。
と一言で表現してみた。

この映画を観たのも実は劇場ではなくて、ムーランルージュとほとんど同じようなシチュエーションで観たのだけれど、得たものは全く異なっていたのでした。

もちろん、映画を観ている間には十分その世界に浸っていて、わくわくもしたし飽きずに観ていられた。
だけどそれ以上に、観終わった後にこころに残った感覚のほうを今でも強く覚えている。それは言葉にすれば「人間が生きることって素晴らしいよなあ。自由に生きていられるってことだけで十分な価値がある。そして、前向きにあきらめずに希望を持って生きていくそのパワーというのはものすごい。」、、、なんて言葉が出てくる。
そんな僕にとって、この映画の価値は、そういう人間の力強さを人間独自の長所なのかもと再考しながら自由ということの人にとっての重要性を再認識できたこと。。。だったりする。
(くどいようですが、もちろんストーリーの素晴らしさ、クライマックスでのカタルシス、役者の演技のうまさ、、、など他にも十分な価値といえるものはある。そのうえで)

さてそのように価値をいったん決めた前提で「ショーシャンクの空に」の商品コアは「(上記のような)気づき」だったのではないかと考えられる。
商品コアの分類のなかに位置づけるならば「知る」ということに含まれるもの。そして「コアコンテンツ」はその点における「新しい(あらためて、といってもよい)視点」なのではないか。。。

前回触れなかったけれど、ムーランルージュのコアコンテンツは「浮世世界」に分けられると思っていて、そうするとこの二つの違いを下記のように整理できる。

ムーランルージュ:
商品コアの分類、、、「浸る」
コアコンテンツの分類、、、「浮世世界(物語)」

ショーシャンクの空に:
商品コアの分類、、、「知る」
コアコンテンツの分類、、、「新しい視点」

、、、ここでちょっと「映画を企画して作るとき」の視点に切り替えてみる。
おそらく作り手の意識(この映画を作ろうと思ったときの発端)の違いに準じて、このような異なるものが誕生したのだと思う。
そして作成過程においてそれがぶれなかった。
ぶれないだけのしっかりとした商品コアが、企画を意図したときから貫かれた。
だからこそ素晴らしいエンタテイメントになっているのではないかと考える。
素晴らしいといえるモノをつくる(つくられる)ときの、これは共通要素ではないだろうか。
そして、もうひとつ共通していると思うのは、
この2つの映画ともに、コアコンテンツはもちろん、それ以外のコンテンツとそれらコンテンツが生み出す価値とが高いレベルにあって、なおかつ構成された全体として質の高いものとなっていること。
そうであればこそ、この二つの映画は、商品コアが雑音にまぎれること無くストレートに、また受け入れやすいものになって最終的にユーザーに伝わる映画になった(結晶化された)のだろうと思う。

言葉がわかりにくくなってきたので整理すると、
素晴らしいエンタテイメントは、商品コアがしっかりしている。
素晴らしいエンタテイメントは、結晶としての全体を構成する各コンテンツがそれぞれ質が高い。
素晴らしいエンタテイメントは、各コンテンツがとても美しい結晶となるように構成されている。
なんてことを言いたかったわけです。

例として二つの映画を見てきていて、まず「商品コア」について考えてみました。
次回以降で、以前から少し触れている「人に勧める」というあたりをつついてみたいなと思います。
# by appletom | 2004-10-02 01:48 | エンタテイメント商品
ムーラン・ルージュで考える商品コア
エンタテイメントの商品コア(つまりは顧客価値)は、それを経験する人によって異なる。これもエンタテイメントを考えるときの重要な視点だと考えているのだけれど、今回は別の話。

前回「エンタテイメントを経験して残るもの」で、
、、、一方で「ムーラン・ルージュ」は映画を観ている間に感じる楽しくこころ踊る感覚がすばらしい映画。
といったん言い切った。、、、あくまで僕が感じたこととして。

さて、この映画を観たときのことを思い出してみると、、、
実は劇場では観ていないのです。
もともとこの映画が日本で劇場公開されたときには、その宣伝を目にしてタイトルを知ってはいたけれど、それほど注目していなかったせいか、空中ブランコに乗った派手な衣装のニコールキッドマンを見て、なんか騒々しいB級映画っぽい印象を持ってしまっていた。単純に、どこかのサーカス団かなにかで起こる恋愛物語くらいの印象。。。
なので全く興味はなく、当然劇場へ行って時間とお金をかけてまで観ようとは思わなかったので。
その後誰かから薦められもせずにいたのでずっと忘れていたのだけれど、しばらくして(かなりしばらくして)WowWowで放送されることを番組予定表で見たので、タイトルは知っていたからHDビデオ(画期的に便利ですよ)に録画しておいたまま、また忘れてしまっていた。。。前置きが長過ぎました。。。
結局観たのは、ある土曜日(休日)の夜、どうにもすることが無くそれでも家でのんびりしていたい夜。時間もあるしこころのゆとりもあった土曜の夜に、映画でも観ようかなと思って何か録画したままになっているものはないかと探して見つけたのがこの映画でした。
そんな時間のなかで、たまたま観はじめたら、、、すっかりはまってしまいました。
観た人は分かると思うけど、オープニングシーンから独特の世界観に引きつけられて、後はもうあなたのなすがままという感じでたっぷりと異世界にはまり込んでしまったわけです。
前回の繰り返しになってしまうけど、まさにショーを楽しむ感覚。その独特の世界に浸りながら楽しい時間がどんどんやってきては通り過ぎていく感覚。そして映画が終わったときには「ブラボー!」(日本人だけど、、、)と拍手をしたい感じだったわけです。
、、、はて、終わった後に僕の中に残ったものは何か?

じつは何が残ったのかなんて考えても何も出てこない。ただ、とてもこころ踊る楽しい時間を過ごした(映画を味わった)という感覚が残るのみ。でも間違いなく素晴らしい時間を過ごしたわけだし、それが全てであっても別に何かが足りないというつもりも全くない。
つまりはこのことが僕にとっての価値だったわけだ。
もちろんストーリーだって悪くないし、何かの感情が残ったということもあるような気がするし、新しい知識や視点(気づき)がなかったわけでも無い。
でもそれらは補完的な価値だった、僕にとっては。
そしてそれが価値だったとするならば、この映画の商品コアは「(表現における)演出」だったのだろうと思う。

ちょっと脱線すると、
観たときの背景をうだうだと書いたのは、そういう状況で観たからこそそういう価値を認識したからかも知れないと思っているから。偶然にも、そのときに僕が求めていたもの(ニーズ)をこの映画のその要素がピタリと埋めたからこそ、そう感じているのかも知れないと思うからです。
このへんのことが冒頭に書いたエンタテイメントの特徴としての「エンタテイメントの商品コア(つまりは顧客価値)は、それを経験する人によって異なる。」ということに関係してくると考えていて、それを考察していく道具が「人の欲求」ではないかと考えているのです。
脱線終わり。

「ムーラン・ルージュ」の商品コアである「演出」。ちなみにこれは商品コアの分類の中で「浸る」に含まれるものです。
では、こういう商品コア(顧客価値)を持つエンタメ商品を人に勧めるときにはどんな表現をするか。ここに話を展開させようと思うのだけど、だいぶ長くなってしまったので、また別の機会に。。。
# by appletom | 2004-09-30 23:58 | エンタテイメント商品
エンタテイメントを経験して残るもの
エンタテイメント(と直感的に思うもの)を経験しているときに伝わるものと、経験した後に残るものについて考えてみたいのですが、また具体的に映画を例にしてみます。

お気に入りの映画で「ショーシャンクの空に」という映画と「ムーラン・ルージュ」という映画があるのだけれど、観たことありますか?
簡単に(必要なポイントだけ)説明すると(ヤボな感じですが)、

「ショーシャンクの空に」は、ストーリー展開は驚きの要素もあるけれど全般的には淡々と物語が流れていき、しかしながら役者の演技や映像の演出などによって観ている間はグッと映画の世界に引きずり込まれていきます。そして観終わった後にとても爽快な前向きな大きく広がる感動を得られて、こころの開放感を強く感じる、そんな映画。

「ムーラン・ルージュ」は、こちらも全体のストーリー展開は淡々としているものの、ミュージカル形式になっているので、その途中途中の歌で表現される台詞や心理描写などをショーを楽しむ感覚で感じ取っていけるような演出が秀逸。観ている間にわくわくとしていて、こころ踊る気持ちで飽きずに観ていられる映画。

比較の分かりやすさのためにあえて言い切ってしまうと、
「ショーシャンクの空に」は映画全体を経験した後に自分のこころに残る感覚がすばらしい映画。一方で「ムーラン・ルージュ」は映画を観ている間に感じる楽しくこころ踊る感覚がすばらしい映画。
(反論異論、あるでしょうけど、映画評が目的ではないところをご理解いただければ、、、))

違いは何か。

この違いを説明できそうな可能性を、以前からテーマとしている「コアコンテンツ」の違いと「商品コア」の違いに求めたいと思います。
次回以降でもう少し詳しく見てみます。

それと、この違いは、2つの映画を友人に勧めるときの「薦めやすさ」と「薦め方(表現する項目の違い)」につながってくると考えています。
この話もいずれヒットするエンタテイメント商品について考えるときに取り上げてみたいと思ってます。
# by appletom | 2004-09-29 23:26 | エンタテイメント商品
苦しむものではない
アテネ五輪の皆の活躍。感動した、素晴らしいと思った。
あの選手たちはスポーツをしているのだけれど、仲間同士でテニスをしたり草サッカーをしたりするのとは違うことをしている。

僕らがやっているのはエンタテイメントだから。

選手たちは、目標を達成した充実感や爽快感を味わい、間違いなく気持ちの変化を得ているわけだけれども、でもそれはエンタテイメントとは言わないのだろうと思っている。
なぜならそこに至るまでに味わう苦しみは、そう簡単に乗り越えられるものではないだろうから。

エンタテイメントは「良い気持ち」が伴うものといえるのじゃないか、考えているうちにこれはそう言って良いだろうと思えるようになってきた。

もちろん、北嶋選手が本当に気持ち良さそうに「ちょー気持いー」と言ったが、それをエンタテイメントという人はいないだろう。
でも、たしかに疲れはするけれど、近所のプールに行って自分のペースで泳ぎ続け自分の限界を超える距離までは泳がないくらいの運動をして爽快な気分になる、これはエンタテイメントといっても良いのかと思う。
このくらいの苦しみは許容範囲というか、本当の苦しみではないというか。生きるうえでのリスクにまでは至らない苦しみの範囲、この範囲であればその先にある「良い気持ち」を求めるためのエンタテイメント、そういっていいんじゃないだろうか。

少し別の言い方をすれば、生きるための欲求に素直に従う、無理なく従う、それがエンタテイメントの要素になるような。
# by appletom | 2004-09-26 07:21 | エンタテイメント商品
DVDは演出。モノではなく
(タイトルの「演出」は、前に記したパッケージ自体が演出だという意味です。)


いまさら、という感じなのですが。

以前に、エンタメ商品として、
映画・アニメ・マンガ・小説・DVD・音楽・旅行・パチスロ・TVゲーム・スポーツ・競馬・居酒屋・メール、、、というのを例にあげた。
DVDは物理的に存在するモノだしTVゲームだってパッケージとして売っている。マンガや小説にしたって本屋さんで売っている。
でも、ほとんど自明的にすぐわかることだけれど、これらの商品はモノを売っているわけではないよね。DVDはそこに記録されている映画を、もっといえば映画を観ること見ることで得られる(と思う)感動や気持ちの変化を、ユーザーは買っている。その他のものもそう。

コレクション的なモノである例えばフィギュア。これはエンタテイメント商品だ、ということにはうなずいてもらえると思う。
フィギュアを買う人は何を買っているかと考えると、モノを所有したいから買うのだけれども、本当はモノ自体に対価を払っているわけではない。そうではなくてそれを所有したときの、あるいは眺めたときの(ときにはレアものだと人に自慢するときの)、自分の気持ちの変化に対価を払っている。

エンタテイメント商品の必要条件としての要素。それはモノではなくココロを売るものであるということ。(ココロを売るという表現はちょっとうまくないけれど、、、)

もちろんモノを売るためにもココロに響くようにしないと売れないから、モノという商品にも(例えば家とか自動車とか)エンタテイメント要素が内包されている。けれど、つきつめたときにユーザーが何に対価を払うかといえば、やはりモノなんだと思う。
そういう商品はエンタテイメント商品ではない、と定義してしまおうと思います。
(フェラーリくらいになるとエンタメ商品になるわけだけれど、それはそうですよね)
# by appletom | 2004-09-26 06:40 | エンタテイメント商品
癒しの一枚3
山中のペンションでの朝。
雲海って初めて見た。この下には街があるのです、見えないけど。
# by appletom | 2004-09-25 22:55
文字はローテクか
物語を人に伝える手段。

口頭伝承にはじまり、文字が発明されると文章を読ませるという形が生まれ、映画やアニメーションとして二次元画面上にその物語を再現する形へと進歩してきたように思われる。技術の進歩とともに、よりリアルに正確に物語を伝えることができるようになってきている。いずれは3次元画像、さらにその世界に身を置いて物語をまさに体験できるようなものが実用化される日が来るだろう、、、とは思う。

もしも、言葉を文字にする文明が存在しないままいきなり動画記録技術が生まれて、映像と音だけで物語を伝える文明だけが発展してきたとしたら、たとえその後に文字が生まれたとしても文章で人に物語を伝える方法は広まらないだろう。
しかし現実には、人類は(なぜか世界共通で)文章で物語を伝えることを経験してしまい、しかもとても長い期間にわたりその文明を培ってきている。
一度文章を読むという方法で物語を味わってしまうと人はそのやり方を捨てることはできない。なぜか。

それは、文章を読むということは物語を正確に伝えるということとは次元が違うから。
文章にすることで新たに生まれる特徴が生まれているから。
それは、
・体験する中での時間融通性
・体験対象のイマジネーションの自由度
・思考の出入り容易性(寄り道的思考の許容)
という特徴です。そしてこれらの特徴が心地よいから人はこのやり方を捨てることはできないと思う。

具体的に例を示すと、
・文章を読むのはその人の制御できる時間のなかで行われる。つまり読む速度は自分のペースで良く、時間をかけたいところはかければ良いし読み飛ばしたいところは読み飛ばして良い。小刻みに前の部分を読み直すことも自由自在。
・登場する人物の顔つきや体つき、声音、出てくる風景、そういった実際の三次元的イメージを自分の頭で想像しながら読んでいく。それは労力のかかることではあるけれども実は自由に発想できるということが心地よい。
・そこに文章で表現されていることだけを体験するわけではない。ふとした一文から過去の自分の経験を思い出してそれに心を奪われる、しかし元の物語が勝手に進んでは行かないので再びすぐに戻っていける。そして、その物語とは別のことを考えていたことも合わせて体験として蓄積されていく。つまりより深く味わうことになる。
と、
このような体験ができる、容易にできる。
これが文章を読むということの個性であって、やめられない心地よさだと思う。

たとえ技術が進歩してバーチャルリアリティとして現実との差がないくらいに表現できるようになったとしても、だから文章は不滅と思うわけです。
# by appletom | 2004-09-25 22:14 | エンタテイメント商品
エンタテイメント商品との関係性
映画を観ているときって、映画の中の時間の流れに身を委ねて、自分の視界は映画のシーンを観てその中に入り込み、映画が語るものを純粋に受け入れていく。
マンガを読むときって、視界はマンガのコマの中だけれど、あるコマはじっくり眺めるのに一瞬で読み飛ばすコマがある。ときには前のコマをもう一回見直したり。
小説を読むときは、見ているものは文字(テキスト、文章)なのだけれど、視界は物理的に見ている文字ではなくて頭の中で描くシーンに焦点があっている。そしてその中に入り込んでいる。
TVゲームをしているときには、ゲーム画面に入り込みながら、自分が何をすべきか考えて行動している。
エンタテイメント商品を体験するときに、自分がどんな関わり方をしているか考えてみた。

漠然とブレストすると、
受け身か能動的か
一方通行かインタラクティブか
寄り道を許してくれるか強制的進行か、
押し付けられるイメージか自分でイメージするか
その世界で完結するのか自分の他の経験が相互作用するのか
途中で切れるのか切るわけにいかないのか
体験するための場所や時間が限定されているのか
特別な環境が必要かどうか
、、、そんな感じでしょうか。

少し整理すると、
頭の使い方
時間の制御のしかた(されかた)
体験するための環境、、、

うーん、もう少し。
・環境的に
体験のための3次元的束縛はどんな状況か
体験のための物理環境的束縛はどんな状況か
・時間的に
体験するための時刻的束縛
体験する中での時間融通性
・頭の使い方で
体験対象のイマジネーションの自由度
思考の出入り容易性(寄り道的思考の許容)
観客になるのか出演者になるのか

このへんがエンタメ商品のパッケージ(演出)特性の分類に役立たないかな、と。
商品コアとニーズ、そしてその間をつなぐもの(メディア)との相性がきっとあるように考えてます。。。具体的なケースだったらそのときに感覚的にわかることは多いのだけれど、俯瞰的にはなかなかわからずそれを明らかにしたいのです。
# by appletom | 2004-09-25 17:53 | エンタテイメント商品
突然変異種
ある人が言った。
「誰が優れているなんてもんじゃない。生きていくことだけで大変なんだ。
進もうとしなければどんどん落ちていく。
ちゃんと生きていける。もうそれだけで十分なはずなんだ。
なぜ満足しないのか。それでもう十分じゃないか。」

社会の機能不全の原因は、人間の動物性にある。
いや動物は生きていけることだけで満足している。
人間の欲。過剰な欲求はなにが元なんだろうか。

より高く、より進んだところへ。
それが進化の根元さ。文化が発達していく源。

人間は、特別欲求が高まった突然変異。
高まりたいという意志・意欲をもった動物。生物進化論で語るテーマなのだろうか。


、、、と、ここまでさかのぼってしまうと収集つかないね。以上終了。
# by appletom | 2004-09-24 02:37 | 欲求
< 前のページ 次のページ >